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ガンダム監督の傑作「イデオン」をイッキ見!

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どうも。久しぶりに更新します。

この前、『伝説巨人イデオン』を見ました。ちなみに、昭和のアニメです。

イデオン』は『機動戦士ガンダム』で有名な富野由悠季監督の作品なんです。しかも制作の時期は重なっているそうで。

それを1週末で全部見ました。なぜ全部を強調しているかって?

このシリーズテレビ版だと4クール近くある上、劇場版が二作もあるのです。

今回は劇場でのリバイバル上映に合わせて、時間に追われたマラソンに挑んだのです。

ふ〜、イッキ見は大変だった。視力が落ちたかも知れない。

ロボット戦闘アニメの 『イデオン』。

毎回赤いアフロが特徴的な主人公の「コスモ」を通して熱ーい物語が展開されます。

ネットの一部ではガンダムの主人公にちなんで「アフロ・レイ」として親しまれています。

一話一話のストーリーが結構うまくつくられてるのよ。でもねぇ、特にマラソンだと、いつも熱い物語に疲れてしまうのよ。多少の強弱のコントラストが欲しくなっちゃう。

毎回ロボットが合体し、数々の爆発を起こして戦う。これは毎週楽しみにして見るには分かりやすくて良い展開だけど、視覚的な刺激に麻痺して特殊効果のありがたみが薄れてしまう。

しかも、合体も今見ると、変形した消防車やトラックらしき大型自動車を合わせたもの。トランスフォーマーを思い浮かばざる得ません。

手塚治虫率いた虫プロ出身だからか、富野監督は比較的単純な絵を使いつつストーリーには凝ります。この制作方針は日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』に由来するでしょう。

宇宙を舞台とした物語は、人間同士の複雑な利権政治が絡み合い、これが争いの引き金になってしまいます。正直、ロボットの戦闘よりは人の描写の方が興味を引かれた。

このストーリーだからこそ、時を経ても見れるのです。

 

最近のアニメと違い、キャラクターデザインはいわゆる「萌え系」ではありません。

顔はもうすこし現実に沿ってデフォルメ化されたものになっています。キラキラ輝く少女マンガのような大きな瞳は一切登場しません。

こういったキャラデザインがむしろしっくりと来ました。萌えが嫌いといわれる富野監督ですが、デザイン中も目を小さく描くように頼む事があるそうです。やはりドラマによりリアリティーを持たせるためにも、このような決断をなさったんでしょうね。

 

さすが「皆殺しの富野」、主要人物が次々と死んでいきます。

この展開はドラマチックですが、演出が物足りない。視聴者が哀れなキャラクターを眺めて感情移入しようとしているタイミングで、すぐに次のシーンに移ってしまう。「えっ、こっちは心の準備がまだ。。。」という時点で、また暑苦しいセリフが飛び交う。

せっかく印象づける機会があるのに、非常にもったいないと感じます。でも、視聴者層を子供とターゲットしていたからこそ、見苦しい死のシーンを短縮したのでしょう。

演出が物足りない物語上の設定は他にあります。例えばとある一話では、コスモが操縦してたイデオンが相手側のメカにかなりダメージを受け、コスモも精神的にダメージを受けてしまい、鬱状態に陥ってしまいます。周りから気にかけてもらうものの、その一話の終盤でまた誰かの死を目撃したのをきっかけに、強くなろうと精神状態が元通りになります。一話以内という短時間で鬱から回復できるのはむしろ羨ましいです。

現実に起こりうる鬱はもっと厳しいですよぉ〜

  

作中の音楽にも言及しない訳には行きません。

「きこえるかい、きこえるだろう、はるかな〜どどろき」

オープニングの曲から盛り上がり、熱い物語を予感させます。

作中の音楽も場面の雰囲気に貢献します。

「どこかで聞いたような」と思ったら、なんとあのすぎやまこういち先生が作曲されているではないでしょうか!のちにドラクエで更に名曲を世に送り出しますが、この時から「すぎやまワールド」なる音楽的個性を発揮されております。

弦楽器の活用法や、メロディーの構成方法など、ドラクエと共通している部分が聞き取れますよ。

また、エンディングの曲もいいんですよ。

物語の熱さを継承しつつ、どこか切ないバラード的な「さよなら」を感じさせます。

 

さて、肝心の劇場版です。

今回のリバイバルでは総集編である『接触篇』と、結末である『発動篇』が同時上映されました。

実はこの時点でまだ全話を見終えてなかったのです。さすがに土曜日で4クール制覇は難行でした。この時点では全話中の3分の2程度は見終えられたと思います。

最初の『接触篇』の内容は無事に自分でカバーしていました。さすがに1時間半にこれまでの物語を集約するので、大胆な省略やあらすじの変更が見られました。新たに描かれたシーンもありましたが、画質はテレビ版のままだという印象です。でも、やっぱり劇場の音響で聴き直すのは迫力溢れますわ。

休憩を挟んで次は『発動編』。冒頭はテレビ版の終盤の映像が使われ、この部分を見てきてなかった僕は多少困惑してしまいました。それでも話が掴めるようになりました。

『発動編』の大半はテレビ版には無かった最終回を劇場用に制作したものです。だからクオリティー向上も一目瞭然。もっと色鮮やかかつ鮮明に描かれ、爆発の描写がよりきめ細かかったです。

相変わらず登場人物たちが次々と死んでいってしまいましたが、劇場版での死に方はより凄惨です。子供でも、戦闘に巻き込まれたら笑顔のままでバズーカに頭を吹っ飛ばされてしまいます。あぁ、あの残像が未だに脳裏から離れない。

フィナーレでの描写はものすごくヌルヌル。油性インクで描かれた初期ディズニー作品を思い出しました。で、合唱付きの『カンタータ・オルビス』を聴いて鳥肌が立たない訳がありません。エンディングは東洋哲学に影響された輪廻転生をモチーフにしていましたが、多少無理してこの結末に誘導したような気がします。それでも感動した事を覚えています。

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この劇場にはよくお世話になります。

翌日、鑑賞マラソンを再開しました。劇中みんなが死んだあとに、テレビ版で再びイキイキと活躍しているのを目撃したことを変に思いました。もちろんキャラクターの容態以外に、物語も巻き戻されました。

最終的な結末を知っても、十分に鑑賞を楽しめるのが不思議です。元々あらすじが王道的なので、結末を知ってても大して楽しみが損なわれません。むしろ、熱ーい演出に注視できたと思います。

先の物語を知ったおかげで、中盤に隠されたヒントも読み取る事ができました。「あっ、これはこの後こうなるんだな」と分かり、逆に面白かったです。

テレビ版の最終話を見終え、ホッと一息。時間や予算の制約があるテレビの枠でなるべくクライマックスが盛り上がるようにしていたのを感じました。が、さすがに劇場版には及びません。順番問わず、とりあえず劇場で映画を見れてよかったです。

 

テレビ版で物語を展開し、劇場で完結させる。このパターン、後のアニメ作品がフォローしていますね。特にエヴァ。僕の大好きなエヴァンゲリオンですよ。

エヴァンゲリオンですが、イデオンの跡を継いだと言っても過言ではありません。どちらもロボット戦闘アニメで、複雑な人間関係を持つキャラクター全員が見苦しい状況に陥ってしまいます。有名なオープニングの曲名通り、「残酷」ですわ。

 

特に前述の鬱状態ですが、エヴァの主人公たちも14歳の若さにも関わらず鬱になってしまいます。しかも、その症状がイデオンのように1話では収まらず、最終話までにも引き継がれます。

さらに結末のテーマが非常に似ています。ネタバレになるので、白く塗った下記の文字をハイライトしてください:

イデオンでは全員が死んで輪廻転生し、お互いを理解して共生できる存在になります。エヴァンゲリオンでは、人間が心に持つ壁をなくして、人類が隔たりのない共同体に進化してしまいます。これはもう同じと言ってもいいですよね。

エヴァンゲリオン庵野秀明監督が劇場版が公開される10年前に、イデオンを鑑賞して影響を受けたのは間違いないですね。むしろ、イデオンを見ないとエヴァを語れないかも知れません。

 

イデオン。それは一つの大きなイデオロギーかも知れません。

昭和のアニメで、画質は時代と共に劣化してしまったかもしれませんが、物語は今でもアッツアッツです。

確かに昔のアニメのように長い時間を掛けて展開されます。今の作品に比べると、全話鑑賞の敷居が高いかもしれません。

しかしアニメを語るにも、これは見ておくべきでしょう。

 

長文に付き合っていただき、お疲れ様でした。この長さに耐えればあなたもイデオンが見られるはずです。