リッキーの小さな大冒険

ローランド氏の不思議な行動を追跡!

『生きろ!マンボウ』にハマった

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任天堂のゲームで育った僕は普段スマホのゲームを遊ばない。

作品性を重視したゲームと違い、いわゆるソーシャルゲームは粗末なものが多いと考えている。

しかし、それでも『生きろ!マンボウ』にハマってしまった。

 

ゲームの内容は極めて単純。マンボウができるだけ大きく育つようにエサへ誘導するだけだ。しかし貧弱なマンボウは些細な事でも死んでしまう。

このゲームにはクリアなんて存在しない。唯一の目標指数と言えば増え続ける「体重」である。その体重を増やして、マンボウが成長する姿を見るだけで楽しいのだ。

ある程度時間が経過したら、「ぼうけん」というオプションもある。これでマンボウの体重が一気に増えるかも知れないが、死ぬ確率もある。それでもマンボウを大きくしたい僕は、そんな確率を無視してぼうけんを選択してしまう。

死んだらゲームオーバーなのか?いや、そんな事はない。今まで培った経験を、「強くてニューゲーム」次のマンボウに継承させる事ができるのだ。つまり、死へのペナルティーは無いに等しい。だからやる気が失せる事もない。

実は好きで続けている訳ではない。でもしばらくマンボウの相手をしてないと頭がイライラするのだ。これではまるで嗜好品みたいではないか。だから悔しいながらもマンボウをエサに誘導してあげる。

この記事を執筆している現在も、隣にスマホを置きながらちょくちょくプレーしている。ちょっとほっとけばすぐにエサが増え、相手しなければならない。正直言って集中できない。この中途半端さがもどかしく、課金で一気に進めたい気持ちをあおぐ。

待ってから相手をするだけ。繰り返される放置プレーだが、それでゲームが成り立っているのである。元々ダウンロードするきっかけは暇だったからであり、話題になっていたからこれにした。別に『生きろ!マンボウ』でなくたってよかった。

話題作りも計算されている。ゲーム内でマンボウが成長を遂げたとき、Facebooktwitterに投稿すればエサが増える「フィーバータイム」なるものを見返りとして発生させてくれる。判断力が衰えたプレイヤーは難なく拡散に協力するだろう。

このようにソーシャルゲームはいわゆる暇つぶしに最適化されたゲームじゃないだろうか。生活上の細々な暇な瞬間に我々の面倒を見てくれるのである。ベビーシッターみたいだから、ゲーム専用機のように大して「高品質なひととき」を提供する必要も無いだろう。「暇」というかゆいところをかいでくれるれれば良いのだ。

最近のゲームがこのような方向に進んだことは、ゲーム専用機で育った僕にとって複雑な気持ちでいっぱいだ。ゲームが浸透しているのはいいが、作品性が損なわれてもいいのだろうか。確かに時間やプレーへの集中など、「作品」を堪能するための敷居は比較的に高い。だから細切れの暇を持て余すユーザーはお気軽なソーシャルゲームを選ぶのだろう。

 

余談だが、広告はなぜ乙女向けのものが多い?僕は決して興味が無い。

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近日公開予定の「攻殻機動隊 ARISE border:3」に先駆けて、「border: 1 + 2」の鑑賞会を開きます!

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ぜひ是非いらっしゃってください!

詳しくは: https://www.facebook.com/events/264036537116460/